東京代協歴史ものがたり

はじめに

"温故知新"という言葉がある。いつの時代にも先覚者がいて、世代をリードしているものだ。
東京代協の歴史がどんな展開を示すのか、できるだけ明るく綴って行きたいと思う。

故梶原良平氏 元東京代協専務理事

『五人会』の男たち

 昭和15年6月のある日の午後、丸の内の大栄商会の事務所に有志が集い、戦時体制強化の中で今後の代理店の生残りを賭けた会談が始まっていた。
集まっていたのは、大栄商会・宮川親安、集成社・嵩村清司、富士商會・中江俊一郎、高砂企業・小川勝馬、佐藤商店(現協営商会)・白川国三郎の5氏で、後に"火の玉5人男"と異名を取った人々である。
 時局を概観してみよう。昭和12年日支事変勃発、昭和14年米国は、我が国に対し日米通商航海条約破棄を通告、ヒットラーのポーランド侵攻による第2次世界大戦勃発、昭和15年には、日独伊3国軍事同盟が締結されるに及んで戦雲はまさに急を告げた。
我が国は、戦線の拡大に伴って軍需生産を支える資金調達が大命題となり、この年の1月、保険業法が改正されて保険会社の資金運用に対する政府の監督権が強化されるなど、国家権力の業界介入が着々と進められたのである。
 
 話は戻る。 その日の会談の要旨は次のようなものであったらしい。
(1) 統制経済推進の中から論じはじめられた代理店無用論と、どう闘っていくか。いや、これからは代理店の存在が、むしろ必要不可欠となってくるのではあるまいか。このことを大いに宣伝し、代理店の使命を世間に認識させる必要がある。
(2) 業界の大幅な料率割引き競争が、とかく誤解を招くばかりでなく、損保経営上こんな馬鹿げたことは早く禁止されるべきである。
このため代理店は、従来の親睦主体の代理店会とは異なった公正で強力な団体を結成し、一大規制運動を展開したい。
(3) 手数料の割戻し問題に関連づけて、当節、囁かれている代理店手数料引下げ論は、われわれの死活問題であり何としても阻止したい。
会談は全会一致で合議された。それは、やがて「職業代理店の再認識と正当な手数料を」というスローガンを掲げ、東京と大阪で初の代理店運動が展開され、そしてそれが、東京代協の設立と戦後の代理店活動へと繋がって行くのである。

『五人会』から『十人衆』へ

  昭和15年10月、丸の内中央亭に有志三十数名を集めた大会が開催された。それは「五人会」の面々が関係深い代理店に呼びかけ、代理業協会発足を前提とする組合結成のための同調者を募るものであった。
  富士商會の中江氏は座長に推され会議の進行に努めたが、話がだんだんこじれ始めた。大部分の有志の希望は組合結成である。しかし、一方には根強い漸進論があった。
 「組合を作るのなら、組合法に準拠したものを立上げなければならないが、時間的なゆとりがない上に保険会社を刺激することもなるべく避けたい」という本音の部分が次第に論議を支配するようになってきた。
  困った世話役は協議の末、新しい会は一応有志の懇談会として発足させるが、順次、組合に近づけるよう運動を進めていくと提案して承認され、どうにか「東京火災代理業懇話会」の発会に漕ぎ付けることができた。
 この時、一連の措置が不満として脱会するものが十数名あったが、それが返って皆の奮起を促す結果にも繋がった。
  それは役員選任で、従来の「五人男」に加え新に精鋭五人を幹事として補強することを決議し、ここで強固な活動体制を整えたことである。
 補強された新勢力とは、石黒保険・石黒、共保商会・引野、浅野保険部・伊藤、岸商事・岸、岩立商事・岩立の5氏で、やがて座長も大栄商会の増尾氏にバトンタッチされた。
  懇話会は、適正な代理店手数料制度の確立を旗印とし、大日本火災保険協会並びに主務官庁の商工省に意見具申するなどの活動を行う中で、関西火災保険代理店会との連携関係をも成立させ、そして更なる組織強化を図るために、昭和16年4月の総会席上、懇話会を「東京火災保険代理店会」と改称した。
 
  "日暮れて道遠し"と言う。十人衆がいかに努力を重ねても代協設立の前途には大きな壁が存在した。中堅損保のほとんどは代協設立の主旨には同意してくれていたが、財閥系保険会社が大いに難色を示し、我々の支援要請に耳を傾けようとしなかったのである。
 「この重大な時局もわきまえず、海のものとも、山のものとも分らない代理店の組織づくりは、山師の仕事の様なもの」と、業界は嘲笑まじりで批判していたらしい。
  然し転機は訪れた。再三再四にわたる懇談会の席上、ついに互いに激論を戦わして一触即発の険悪な事態にまでなったことが、一つの鍵となった。
 時の氏神となってくれた財界の大物のお蔭もあったらしいが、我々の熱意と誠意がついに天に通じるときが来た。
これまで冷淡極まりなかった損保重鎮の二人は、なぜかコペルニクス的転向を遂げ、逆に代協設立の産婆役になってくれるという幸運に恵まれた。
  昭和18年11月には東京代協設立発起人会が催され、更に、同年12月8日末広がりの吉日「東京損害保険代理業協会」は、業界の全面的な祝福をうけ目出度く呱々の声をあげるに至ったのである。
 初代会長には、大栄商会・増尾彦太郎氏、専務理事に帝国海上保険から迎えた長谷川武雄氏が就任した。

(つづく)

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